東方の学者たち 石丸泰信牧師 イザヤ書61章1-11節、マタイによる福音書2章1-12節
説教要旨 12月30日 録音 主日礼拝「東方の学者たち」 石丸泰信牧師 イザヤ書61章1-11節、マタイによる福音書2章1-12節 マタイ福音書のクリスマスの物語には「占星術の学者たち」が登場します。「東の方から」来たと言われる彼らは、どこかエキゾチックで人々を魅了し、多くの文芸家や芸術家によって、さまざまに描かれてきました。古来、星は人々に何かを告げるしるしと考えられていました。占星術師は天体を観察し、世界情勢や将来に関するサインを読み、重要な助言を与える存在でした。主イエス・キリストがお生まれになったとき、特別な星のサインが現われ、これを見た東方の学者たちはベツレヘムの小さな町で幼子イエスと出会った、と聖書は伝えます。 多くの人が新しい王の誕生を告げる星を見ていました。中にはそのサインの意味を解読できた人たちもいたはずです。しかし、この星を見た人々の中で、実際に立ち上がって遠い旅に出かけたのは彼らだけでした。新しい王の誕生は皆に示されていました。でも、立ち上がったのは彼らだけでした。 彼らが見上げた星は一つのサインです。これは世界中の人に伝えられる一つのニュースと言い換えることもできます。この一年を振り返ると、わたしたちは多くのニュースを見聞きしてきました。わたしたちは、あらゆるサインに気づかぬまま、あるいは気づいても、気づかぬふりをしてそのままやり過ごしてしまうのです。そのように多くの人は星を見、サインを知っても、そのまま通り過ぎます。しかし、この学者たちはそれに応えて出かけて行くのです。東方の学者たちが多くの人を魅了し、憧れの対象として描かれ続ける所以はここにあるのかもしれないと思います。彼らはベツレヘムに到着すると、「幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」とあります。すべきことをすべき人にした。たったそれだけの素朴なことを聖書は伝えるのですが、しかし、それができるのはすごいことなのだと思います。 カトリックの作家、若松英輔さんの著作に「賢者の生涯」というエッセイがあります。若松さんの自宅の近くの橋で暮らす初老のホームレスの話です。彼は極寒でも酷暑でも、そこにいました。ある日の仕事帰り、若松さんがこの橋を通りかかったときのことを書いています。彼は段ボールの囲いの中であぐらをかいてじっと外を見ていた。彼の佇まい、その目の輝き...