蜜のように甘い言葉 小松美樹伝道師 エゼキエル書3章1-11節

説教要旨 2月16日 録音


「蜜のように甘い言葉」 小松美樹伝道師

エゼキエル書3章1-11節 

エゼキエル書はイスラエルの民の危機に、悔い改めと将来への希望を告げる書です。その特徴は幻の多さです。1章は他の預言者には見られないほどの圧倒的な神の顕現があります。代表的な37章「枯れた骨の谷」の幻や、40章からの「新しい神殿の幻」が思い浮かぶ方があるかもしれません。

 預言者の「エゼキエル」という人物がいます。その名は「神は強める」という意味です。彼はエルサレム神殿の祭司の家系でした(1:3)。第一回捕囚期に(前597年)ヨヤキン王とバビロニアに連れて行かれ、捕囚の地で5年暮らしたその時に、預言者としての召命を受けました。『人の子よ、目の前にあるものを食べなさい。…それは蜜のように甘かった。』(3:1−3)このように始まりました。食べよと言われているのは、巻物です。つまり聖書で、しかもそれは『哀歌と、うめきと、嘆きの言葉』(2:10)でした。それを食べなさいと、主の手が差し伸べて来たのです。

 「御言葉を食べる」とは、よく噛み締めて、味わって、それを糧に生きよう。そう言うことだと思います。けれども、その決意も、お腹に入ってしまった途端に、目の前から消えると、忘れてしまうことは多くの人が思い当たることだと思います。

 み言葉を食べるという生活を実践することはなかなか難しいと思います。

聖書を毎日読んだり、聖書を書き写しているという方もおられます。

何をやっても続かない私にとって、そうゆう習慣を続けておられる方々には、頭が下がります。なぜなら、何もせずに、御言葉が生活の中に伴うことは難しいと思うからです。祈ることも、私たちに聖書の言葉を思い出させてくれる。力づけてくれる。主の忍耐を思い起こして、何事にも思慮深くさせてくれることと思います。

 エゼキエルは度々異常な行動を示したと言われ、(巻物を食べたり(3:1−3)、自分の体を縄で縛り、長期間横になった(4:8)他。)それは精神的な病にあったのだという見解があります。預言者が神の託宣を受ける時、多かれ少なかれ、幻視・幻聴など異常な状態に陥りました。巻物を食べ、しかもそれを甘いのだと言うのです。異常に見えたことでしょう。けれども、やはり主の召命を受けた者たちは変わっているのだと思います。それはいつの時代も同じで、今の私たちも、教会に行かない人たちからは少し変わっていて、不思議に映るのだと思います。日曜の朝はやく教会に行くこと、献金をすること、教会行ってもエレベーター壊れていて大変なのに、杖ついて階段登って、礼拝してる。そんな状況なら休めばいいのに、と人の目には映るかもしれません。

 神はエゼキエルに「人の子よ」と呼びかけました。エゼキエルとの関係の遠さを持つ呼びかけのように思います。

 神学生の頃、説教原稿を提出するの課題が出ました。また、その課題をやって来た上で、説教のための聖書釈義から礼拝で語られる説教には、なんの違いがあるのかと問われました。聖書から「このことが言われているのか。」そう思った時、課題の聖書の箇所を読み始めた時の自分と、今の自分は、聖書の見方が変わったと感じました。自分の考えが変えられたのです。そして、自分は罪人なんだということが分かった。そんな思いが与えられました。御言葉が私は愚かだと、罪人だと知らしめます。けれども、同時にその罪人の私に語りかける主の言葉は、私の回心を待っている言葉であることに気がつき、立ち上がらせて下さいます。

 捕囚の苦しみの中に生きるエゼキエルに「自分の足で立て」(2:1)と主は命じます。「人の子よ」と呼びかける声は、私たちがどんな存在なのかを思い出させます。エゼキエルにいのちの言葉を与えるため、預言者の勤めに就かせるため、主は彼を立ち上がらせます。また、巻物を食べなさいと命じた後、「語れ」と言われます(3:1)。巻物で腹を満たし、それをしっかり消化しなければ、人に語るの難しいでしょう。エゼキエルはその後「座り、呆然として七日間留まっていた」(3:15)とあります。主の言葉を受け止めるには、時間がかかったということです。み言葉を食べて満たされているから、いつでも御心に従うということではないのです。私たちも1週間、ヘトヘトになり、何のために働いているのか、何のために自分の時間を費やしているのか、自分自身を見失いながら過ごし、教会にやって来る。1週間前にも目の前に差し出され、口に入れたはずの主の言葉が私の中に充満し始める。主の御心に叶う歩みができていなかった自分自身に主の言葉は苦味のようであり、けれどもそれは、主が帰っておいでと呼びかける声、あなたを求めておられる主の声であることに気がつく。それほどまでの愛するゆえの言葉は、涙が出るような蜜のような甘い言葉であったのです。