神の呼び出し 石丸泰信牧師 使徒言行録16章6-10節

説教要旨 10月21日録音


創立記念礼拝(主日礼拝) 「神の呼び出し」 石丸泰信牧師


使徒言行録16章6-10節
 向河原教会は、この10月より伝道開始68年目の歩みを始めます。「なんとかしてキリストの教えをこの子どもたちの心に刻み込んでいきたい」というある夫妻の祈りによって、武藤富男師による聖書研究会が始められました。教会の記念誌はこの出来事を、使徒言行録16章の物語になぞらえて次のように伝えています。「マケドニヤに渡ってきて、わたしたちを助けてください」と幻の中で語りかけられたパウロが、神からの招きと確信してただちにマケドニヤに渡ったように、この夫妻に聖霊の導きが臨み、ひとつの尊い幻が主より与えられた、と。
 使徒言行録は、使徒たちの言葉や業の記録のように見えますが、その中心にはいつも歴史を導かれる神の御手があります。今日の箇所の直前には、パウロとバルナバの喧嘩別れが記されています(15:36-)。未熟なマルコを同行させるか否かで意見が対立し、彼らは別々の道を行くことになるのですが、聖書はどちらが正しかったかとは言わず、この出来事から何が生み出されていったのかを伝えています。二人の衝突の結果、二つの宣教旅行が同時に展開されることになります。マルコを連れたバルナバの入った町は既に教会があり、まったくの開拓地に比べ、安心して宣教に専心できました。未熟だったマルコもこの町で成長し、後にパウロにとってなくてはならない存在となりました(Ⅱテモテ4:11)。人の目に失敗に映ることも、神の御手の中にあるのです。
 今日の箇所には、パウロが計画を二度も変更せざるを得なかったことが記されています。第一に「アジア州」で宣教するつもりだった計画が頓挫します。聖書は、その理由について「聖霊から禁じられた」としか言いません。パウロたちは、当初の計画を変更し「ビティニア州に入ろうとし」ますが、再び妨げられます。理由は「イエスの霊がそれを許さなかった」からとあります。二度も神によって扉が閉ざされます。しかし、彼らは「せっかく準備したのに」ではなく、「神は我々をどこに進ませようとしているのだろうか」と考えます。だからこそ、パウロは、マケドニア人の夢を見て「ここだ」と確信したのです。彼らの計画は何度も覆されました。この御言葉が向河原教会の歴史の冒頭に引かれていることは興味深いことです。
 1951年、この地で聖書研究会が始まり、1957年に教会が設立されました。最初は保育園や工場を借りたり、河原で礼拝を捧げたそうです。1959年に、ここに土地を取得し、会堂建築を計画します。建築費用の頭金となる20万円の献金が集まりました。教団の建築認可を得るためには、距離にして1km圏内にある隣の教会の承諾を得なければならないのですが、なかなか得られません。そのとき隣の教会は会堂を建築中でした。そこで、武藤先生は会堂建築の頭金全額を隣の教会に献げ、神の御心に任せることを提案しました。役員会は祈って決断し20万円を送りました。程なくして建築の許可が出ますが、建築資金は振出しでした。このとき、武藤先生が関わった音楽宣教団の指導者ラクーア宣教師を通して、子を亡くした夫妻から記念献金として108万円が献げられることとなります。何よりもまず神の国と神の義とを求めよ、そうすれば必要なものはすべて与えられる、という主の言葉の真実を体験した出来事でした。「神は我々をどこに進ませようとしているのだろうか」。教会の人たちは、自分たちの歩みが、神の御手の中にあることに信頼していたのだと思います。
 ある人は「〇〇がなければだめとか、〇〇しかありえないということは人生にはない」と言いました。必ず別の道がある、と。計画が二度も頓挫したパウロは言いました。「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。…試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」(Ⅰコリント10:13)。「逃れる道」とは、換言すれば「次のドア」です。一つのドアばかり見ていると気がつけない。でも、必ず別のドアがあります。壁にしか見えないところに扉があるのです。この教会の歩みを憶え、わたしたちの物語を導く大きな手があることを信頼したいと思います。